教育・個人事業・ポジティブ思考

教育関係の個人事業を行いポジティブな気持ちで生きていくために学んだことや考えたことをアウトプットします。

楽しさを自分で作る思考

どうしたら仕事が楽しくなるかを考えてみました。

これからは、生徒に渡すプリントに、必ずイラスト&ポジティブ吹き出しを書くというルールを自分に課してみることにしました。

すると気持ちが前向きに。

「どうすれば楽しくなるのか」を意識的に思考するのは大事だと思いました。

スマホなどに依存して、誰かに楽しくしてもらうことに慣れきったら、結局幸せになれないと思いました。

スマホの教育へのリスク

スマホ脳」という本を読みました。

本の内容を超大雑把に書くと、
スマホ(タブレット)が学習効果や健康に悪影響。その影響に大多数の子ども(大人も)は抗えない。そういうふうに作られている」

というものです。

自分に置き換えても納得できることが多々あり、僕の場合は、スマホの脳への悪影響を、かなりしっかり受け止めるきっかけになりました。

現在、GIGAスクール構想という施策が実行され、「学校で生徒1人に1台のタブレットを配る」を目指して動いているそうです。

今、僕が危機感を感じているのは、このGIGAスクール構想によって、日本中、大多数の生徒の学習にネガティブな効果が生じるのではないかということです。


文部科学省の方は、「スマホ脳」に載っているような、

世界の研究者のスマホリスクにまつわる発信を、

吟味した上で、GIGAスクール構想を実行に移しているのでしょうか。

すでに、世界のトップレベルの医者や研究者の方が、学校や子どもの協力で実験データを集め、タブレットを用いた学習のリスクについて、数値に基づいて結論を出しています。

「どういう効果がでるかわからないけど、自分の国で、とりあえずやってみて、数年後にネガティブな結果が出たら廃止」とかやったら、本当に愚かだと思います。だって、タブレットのリスクについて世界中のエリート達がめちゃくちゃ実験済ませてて、数値で結論が出てて、僕なんかの手元に届くまでにその情報が出回っているのに。

昔政府は、勝てない戦争に向かうよう国民を突き動かしました。今度は、(乱暴な言い方をすると)子どもをバカにする政策に、教員が突き動かされているのではないかと、僕は危惧しています。(しかも教員は超多忙で、真面目な方ほどその変化に甚大なエネルギーを割く)

こんなに愚かなことが、これからまた現実に起こる可能性があるのではないかと、心配しています。

文部科学省や、スマホの開発者の、させるがままに動いてはいけないと思います。一人一人が考えて、勉強して、本当に、人間にプラスになるよう動かなければいけないと思います。

学校の先生方や保護者の方のうち、本を読む時間がなかなかとれない方が多いと推察します。

でも、この本は多くの先生や親御さんに読んでいただいて、タブレットを与えるタイミング、有効に活用するための、タブレットとの距離感を知っていただきたいです。

なにより、国の政策レベルで、教育にタブレットを導入するのは、思っていた以上にリスキーだと思いました。

ちなみに、僕が仕事で見ている某私立学校の生徒達ですが、公立よりいち早くタブレットが導入されてます。

僕の体感ですが、その学校の生徒で、特に学習意欲が真ん中〜低めの層の生徒は、タブレットにより、学習の定着が明らかに阻害されていると感じます。
(書くことが、タイピングより学習効果が高い。データが手元にのこる状況は、脳への記憶の定着が悪い。こういった実験結果も、本の中で示されています)

子どもにタブレットを渡す権利を持っている方は、ぜひこういった本でスマホの教育リスクを学んで、子どもに渡した方がよいと思います。

スマホのリスク②

「データが残る」という状態は、脳が記憶するのをかなり妨げるらしいです。

自分にも思い当たることがあります。

写真を撮ることが許可されていた大学の講義の内容は、頭に入らなかったですし、

教員時代、サーバーに会議のデータがある状態だと、職員会議の内容も頭に入れる価値がなく思い、しょっちゅう寝ていました。

知り合いの某私立高校の生徒で、学校で個人用のタブレットを支給されている方がいます。
その学校は、学習用のプリントや、授業のスライドなどをデータで配布・管理しています。

その彼は、僕よりも断然、いわゆる地頭が良いと感じるのですが、学校の授業の定着が明らかに悪いです。

僕の感覚によるものですが、タブレットの利用により、学んだことを頭に残す脳の活動が低下していると思われます。

教育関係者は、こういったリスクも知っておく必要がありそうです。

スマホのリスク

スマホがポケットに入っているだけで(サイレントモードでも)、脳はエネルギーの一部を、無意識にスマホの存在に費やしてしまうらしいです。

そんで知らないうちに、学習や作業のパフォーマンスが落ちるらしい。

今、公立学校ではタブレットが配布され使用を推奨されていますが、子どもにツールを与える側の大人(親や教師)はこういった学習への悪影響の可能性も、知っておく方がよさそうです。

といか、まずは僕がスマホの悪影響をさけなければ。
スマホと別の空間で暮らす時間を増やしていきたいと思います。

教員免許更新制度廃止の動き

文部科学省が教員免許更新制度の廃止に向けて動き出す」というニュースを受けて、知り合いの先生方が歓喜しています。

逆に、なぜこのような無駄な制度を今まで廃止しなかったのか理解に苦しみます。

「文科者に期待しても無駄」

私が教師を辞めるときに、悟ったことです。

①教員採用試験の志願者が減る

②教員の質が落ちる

③質の高い教員に負担集中

①繰り返し

この負のサイクルは、僕が教員を辞めた2年前には既に完成していました。

今さらだと思いますが、教員免許制度を廃止することは、このサイクルをとめる小さな一歩になるのかもしれません。

ただし、個人的には、この問題の本質的な改善点は、教員の研修を充実させることではないかと考えています。

教員の不足、労働環境の悪化がなげかれていましたが、それ以前に労働力にならない(むしろいざこざを増やす・マイナスの影響になる)教員が多くいるのが実態です。

そこをどう改善していくかが、ポイントだと思います。そしてそれには何十年もかかると思います。

個人事業スタート

勇気を出して、会社を辞めて、個人事業をスタートしました。

学習塾です。

理念は、

「生徒の学習ストレスを緩和することで、前向きに幸福度の高い人生を送れるようなアプローチを追求する」です。

結果が伴うかの不安、やるべきることの多さで頭がいっぱいになるときがあります。

正解のない世界ですが、この理念を基準に、自分のやるべきことを決定し、行動し続けることが、最善の成果を生むのだと信じて、進み続けたいと思います。

入試改革と教育現場のギャップ

大学入試改革のニュースが世間を騒がせることが多くあります。

私が知る範囲で、日本では、教育を改革するためには、まず入試を変えようとする傾向があります。

入試を変えたあとは、後追いで(ほぼ現場丸投げで)、実際の教育が変わると考えているようです。

最近では、アクティブラーニングとよく聞きますが、「主体的・対話的で深い学び」をしていこうと改革が進んでいます。

ここから入試も、「主体的・対話的で深い学び」を取り入れた改革をしていこうとしたようなのですが、それがどうしても生徒の実態とズレていると、自分には思えます。




大学入試センターの試行調査の問題がこちら。おそらく大学入試共通テストの新傾向になるものです。

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そして、この問題のねらいというのが…




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こういった傾向は、大学入試だけでなく高校入試でも見られます。

身の回りに数学を活用する力とか、数学について対話する力とかを測ろうとしてるようですが、ペーパーテストでそれを測るのは無理があるのでは…と自分はどうしても思います。

文書が長く、懸命に勉強してきた数学に到達するまでが長い…という声も聞かれます。

こういった傾向を受けて、対策で類題を解きまくる生徒は多く見ますが、身の回りに数学を見つけて対話してる生徒はあまり見られません。

塾や学校の先生たちは、これまでの学習指導に加えて、長文読解のポイントを指導する必要に迫られつつあります。

私が見る限り、生徒は、数学という学問自体の難しさや面白さで対話をすることが多い気がします。

日本の学習指導も、数学という学問本来の面白さによるべきではないか。入試も、そうあるべきでないか。と、最近よく考えます。

太郎くんと花子さんの対話を読まされても、対話する気にはなれないし対話の力はつかないと思います。

教育を取り仕切って舵取りをする方々が、現場の状況、こういった生徒たちの実態を、認識してくれたらいいと思うのですが…