30歳で教員を辞めた男の人生

30歳で教員を辞めて気づいたこと、教員をやっていて学んだことなどを書いていきたいと思います。教員の方も、そうでない方も、仕事と生き方について考える参考にしてきただける記事を目指します。

「叱る」「褒める」は古い教育

「自分たちが子どもの頃は、先生が絶対だったぞ」「昔ビシバシしごかれて自分は良かった」

このような、昔自分が受けた教育をそのまま再利用して、今の子どもに押しつけている方が大勢いるように感じます。

部活指導で子どもに暴言を吐く方、学校で偉そうにふんぞり返る先生…。私は、そのような「指導者が絶対的なもの」みたいな教育は、もうやめたほうがいいと思っています。

これからの教育で、子どもと大人は、縦の関係より、横の関係を重視する方向にシフトしていくべきではないでしょうか。

そして、昔から教育の基本に置かれてきた子どもを叱るとか褒めるとか、そういう発想が、今はあまりいらないのではないかと、思います。

そう思う理由を書きます。

大人が自分の基準で「褒める」「叱る」をしていると、子どもの判断基準がその大人の「褒める」「叱る」になってしまうと思います。「A先生は××すると怒るから〇〇しなきゃ」「B先生に褒めてもらうために□□しなきゃ」


そうして育った子どもは、自分の中にやりたいこと、やるべきことの基準が作れなくて、人の顔色を伺って、どうすれば人に好かれるか、人に嫌われないためにどうするかを考えて、「自分がどうしたいのか」を見つけられずに生きていくことになりかねないと思います。
(というか、私がそうでした。)

終身雇用や年功序列がなくなりつつあり、YouTubeなど個人の事業が発展している今の社会では、上司の顔色を伺う力は、もう重要ではなくなっていくと思います。

逆に、自分の好きなことや、得意なこと、アイディアなど、より「自分の考え」や「やりたいこと」、そして「個性」が重視される時代になってきているのだと思います。

なので、昔の教育でしょっちゅう見られた「走れ!」「負けて平気で笑ってるんじゃねえ!」「声を出せ」「〇〇しちゃだめ!」とか、「えらいね!」「〇〇しなきゃだめだよ」などと、こちらの主観による基準を押し付ける指導はなくしていって、
「僕は○○だと思うけど、どう思う?」「君の態度がみんな不快みたいだけど、いいの?」「今日の敗因は何?」とか、「頑張ったね!」などのように、子どもが主体的に、自分の中に良し悪しの判断の基準を作っていけるような指導を心がけることが、
今の時代の教育の目指す姿だと思います。


目標を話し合って共有して、一緒に達成を目指していく。縦ではなく「横の」大人と子どもの関係が理想だと思います。

とはいえ現実問題、「叱る、褒める」は、緊急時や命に関わる重要なことや、人間として必要なルール、マナーのしつけには、実質必要に感じます。

また、今の時代の先生や親御さんはとても忙しく、じっくり子どもと向き合って話をする時間がとりにくい実情が多い気がします。

どれだけ子どものために、子どもと向き合って話し合う時間を作れるか。きっとそれが、勝負なのだと思います。

子育ては、自分が受けた教育をそのまま子どもにする作業ではありません。時代の変化に応じて、大人も成長が必要だということを自覚して、変化していかなければ、子どもが不幸になりかねないと思います。

子どものために、我々大人も一緒に頑張っていきましょう。